障碍者雇用を考える

どうもこんにちは。Qたろうです。

 

最近私のこんな気まぐれブログでも読んでくださる方がいらっしゃるようで、ありがとうございます。

 

あまりネタがないので苦労しますが(苦笑)

 

今日は先日、人材会社経由で就職した会社をわずか半年で解雇された、その後について少し触れてみたいと思います。

 

私は新卒である会社に入社してから何度か会社は代わりながらも、ずっと営業職でやってきました。

 

それは父親も会社で営業職だったというバックボーンがあったのもありますし、自分は営業こそ自分の適職だと、思い込んでいたのがありました。

 

それでずっと営業職をひたすら30年弱やってきました。

 

しかし、一方でやればやるほど仕事が嫌いになっていく自分もあるのも事実でした。

 

というか

 

元々は人づきあいが苦手で、コミュニケーションに難ありの性格で、どちらかといえば誰にも邪魔されず黙々と何かを作るような仕事が、向いていたんじゃないかと思います。

 

営業職は天職。それは幻想でした。自分で自分を騙していたように思います。営業職ってなんかカッコイイイメージがあった。たぶんそれだけだったと思います。

 

営業は、本当に自分にとってきつい仕事でした。いつも人と人に挟まれて、社内からも社外からも罵声を浴びせられ、成績が悪いと叱責される。正直、疲弊していました。

 

それでも営業が向いていたら、メンタルはやられなかったと思います。精神疾患にかかった時点で、自分はもうアウトでした。

 

しかし培ったキャリアは覆すことができません。自分はずっと営業職しかやってこなかった。だから仕事を探しても、ヒットするのは営業ばかり。

 

一度、昔やっぱり営業向いてないなと思って、職業訓練学校に通ったこともあったんです。ちょっと興味をひいた3DCADのオペレーターの勉強をしました。

 

でもたった三か月程度の勉強でモノになるわけがありません。あのとき生徒は14~15名ほどいましたが、在学中に、その道で就職が決まったのはたった一人でした。

 

少し話は反れますが、あのとき通った職業訓練学校も講師の方もあまりやる気というか覇気を感じませんでしたね。基本国から雇われた契約社員みたいな扱いで、淡々と最低限の役割をこなしているだけ、みたいな感じでした。税金をかけて、立派な建物立てても内容はありませんでした。ちょっと、がっかりしたのを今思い出しました。あれは何だったんだろうなあ。

 

反れました。

 

そんなわけでもういい歳をした中高年が言うことじゃありませんが、50を過ぎて営業職はもう止めたいと思いました。これ以上繰り返すと、また病気を再発するだろうし、また仕事が嫌になってしまうと思ったから。

 

違う職業に就きたい。

 

それも無理のない範囲で。

 

そこで妻と話したのは、障碍者雇用という選択肢。

 

確かに障碍者雇用は色んな制約を受けます。給与は安いし、いつまでも補助的な仕事しかない。でも妻も働いているし、障碍者年金も貰っている。息子も大学を卒業し、社会人になる(とはいえ彼は仕事が見つからずフリーターになってしまいしたが)、なんとか家族三人でやっていけるだろうという目途もありました。

 

もう無理に精神をすり減らして嫌な仕事をしなくてもいいんだ

 

しゃかりきにやらなくてもいいんだ

 

そう思うと少し心が軽くなりました。

 

それで私は52歳にして方向転換をして障碍者雇用の道を探すことになったのです。

 

果たしてその結果は。

 

また次回に。

 

では。